知立のからくり U 発刊!
発行 平成26年3月31日
編集 知立からくり保存会
印刷 叶シ三印刷所
A4版 価格1,000円
昭和54年発行の冊子
昭和54年5月発行以後の知立からくり保存会の歩みを記録した冊子です。
主な内容
・ 知立祭りと山車からくり 民俗芸能研究家 鬼頭秀明氏
・ 知立からくり保存会の活動状況記録 からくり保存会
・ 海外公演の思い出 ミネルバ名古屋代表 千田靖子氏
・ 「平治合戦」94年ぶりの復活
からくり人形「平治合戦」を復元して 人形細工 斎藤 徹氏
からくりと三味線・人形操作の習得・床本と人形の動き
からくり保存会
・ 会員紹介
平成24年8月27日〜31日 丸2年ぶりの練習
平成22年5月3日 午後2時30分〜の本番に向けて からくり宿にて 練習風景
平治合戦稽古台色塗り作業 平成21年12月5日
平成20年7月20日〜毎月第四の一週間、保存会員総での特訓練習を確認
練習会場は西町公民館使用のため一般町内会員さん等、利用者各位さまのご理解をお願いします。
平治合戦練習日程
7月20日〜26日・8月25日〜31日・9月22日〜28日・10月20日〜26日
平成19年10月20日・21日 人形の動き講習会
西町が山町の「平治合戦」を受け継いだ いわれ
山町の平治合戦のからくりは何年頃から上演されていたか記録は残っていない
ただ、礫嘉平次の着物の裏に「丙安政三歳辰三月下旬 吉川方四 慈路吉」と墨書きしてあることから
1856年には上演していたであろう
大正5年(1916)を最後に上演されなくなったとのみ山町『永代帳』に記されている
それ以後にも上演されたとも考えられるが記録がない
山町での「からくり」はそれ以後すっかり忘れられ、「山車文楽」は戦後いち早く県の文化財に指定され
そちらの保護と維持に追われ誰もからくりを顧みる事がなかった
その後、西町の「一の谷合戦」のからくりが「知立のからくり」として、県の民俗資料に指定されたので
平治合戦のからくりの人形が祭蔵の奥から探し出され 昭和38年(1963)に山町祭総代から保護と
維持を西町に一任されたのである
預けられた西町の坂田信次・忍兄弟によっていくらかの修理がなされ 人形の操作も山崎構成氏によって
解明されたが それ以後実際の上演はされていなっかた がしかし
平成19年3月完成予定で 斎藤 徹氏により人形の完全修理がなされることとなり
浄瑠璃の作曲も 豊澤千賀龍師匠にお願い出来 西町のからくり保存会の者たちが 結集して
「平治合戦」復活に まだ一歩ではあるが歩み始めている。
平成19年3月17日
平治合戦の修復され説明を受ける
人形制作師斎藤徹氏と 礫喜平次・牛若丸・増上坊天狗
修復前の「平治合戦」の人形たち
平治合戦の図 源義朝と平清盛が戦った平治合戦 |
「日本古典文学の中の雷」 恵泉女学園大学人文学部専任講師 佐谷眞木人 |
そもそもその後 国家の興廃は主君の得失によって せいばいえい色 人を異にす
安芸の守平清盛 二条大宮に陣を取り 分けて雲居にひるがえす 軍の備え厳重なり
平清盛
左馬の守義朝の八男 牛若丸 待賢門の軍に敗れ 喜平次一人打ち連れて
九重の宮に たたずみ給い 若君仰せ出ださるるは
(牛若丸)「のうのう喜平次 ここは何国」 とたづぬれば 喜平次はっと頭をさげ
牛若丸
(喜平次)「ハハァー是はすなわち源氏の御守り神 祇園の御社にて候」と
聞いて若君 涙ぐみ
(牛若丸)「いかに清盛せんぎつよければとて いやしき様に身をやつし まだ其の上に
何国をあてど あわれみくれよ」
喜平次
とばかりにて あとは涙にくれにける
(喜平次)「ハハァー御なげきはことはり さりながらそれがしお供仕まつれば 御身の上に
あやまちなし 最早味方の軍兵も 手配り致しおいたれば 必ず気づかいのたもうな」
と いさめ申せば 若君も
(牛若丸)「てもさても 世の中におことが如き者あろうか うれしいぞよ たのもしし」
(喜平次)「ハハァー何かにまぎれわすれたり 最早申せし通り 源氏の武運長久」と
神前に打ち向かいしばらく 御座したてまつる きんじょうさいはい きんじょうさいはい
そもそも我朝に二所の雑兵あり 神風や伊勢につづいてはとの峯 我も源氏のうてなといふ
家名をこの身に請けついで 仇を千里の外にしりぞけ 源氏の御世をまもらせ給ひ
たんせいかもんのいのりには 仁義も徳も しゅしょうなり
折から来る宮津子が 何者なるぞととがむれば
(喜平次)「ハハァー我々は堺よりきた谷竹の芸者」
(宮津子)「ハァーかねて咄にきいては居れど ついに是まで見たことなし 何と一曲なるまいか」
(喜平次)「なるほどそれはお安い事 したが禰宜どの かんじんの一本竹 是がなくてはこまる」と
めいわく顔よにのりそめて ふっと気のつく宮津子が
(宮津子)「そんならまたしゃれ いようも有」と あたり見まわし 「おっとあるぞ その竹は 祇園祭の
幟り竹 登るというぎえんも有れば げいもおもしろかろう ゆるりと見物致さん」
と云うに喜平次こわつくり
(喜平次)「とざいとうざい まづは変わらぬ鼓なんどに めづらしき見せ物はおおけれど お目通りに立ちました
一本竹のかるわざ 此度が始めて頂上で致しまするが下がり藤 後は色々御目に掛けます しかし
禰宜殿 はやしがなうては行きにくい」
(宮津子)「オットそこらはのみこんだ かぐらの衆を頼んでやろう」
(喜平次)「それはなによりかたじけない さらば一曲致さん」と
片手にすっくと 差し上ぐれば 禰宜は太鼓を宮都宮
つたのかずらのはいまとう 身は笹がにの糸かるわざ 下にはあうんの 力士立
始終の様子こかげより うかがい見たる清盛が 長刀かいこみおどり出で
(平清盛)「ヤァヤァ 源氏の小童牛若丸に紛れなし 討取れや」と
おほせのもと かしこまったと鷲塚平内 上着脱ぎ捨て身構えたり
鷲塚平内 (鷲塚平内)「ヤァ我を誰かと思うらん 平家の家臣鷲塚平内 清盛公のおほせをうけ
源氏の残党せんぎするかくし目付けの手始め」と
言うより早く 太刀抜きはなし すでにこうよと 見えけるところへ
ふしぎや一天 にわかにかき曇り さっと吹き来る 山おろし
草木も振動 めきめきめき さすがの清盛 びっくり仰天 四方にまなこを配り入る
見山 向山四川の空 雷電稲妻はげしきおりから 増上坊牛若丸を小脇に抱き
増上坊天狗 行方知れず なりにけり 鷲塚平内こわだかに
(鷲塚平内)「ヤァこわっぱを連れ去ればもう是からは一本竹 首と胴との生別れ かくごしろげ」と
よばわったり 喜平次なおも 勇気たち
(喜平次)「ヤァうぬらがごときのうじ虫共 一人二人は面倒な 一度にかかれ」とよばわって
そばにありける桜の小枝 まっこうみじんに打ち砕けば おもはず後へ たぢたぢたぢ
なんなく小腕ひっつかみ 宙にひらりと差し上げて きりきりきりと振り廻し 七、八間も
投げつけば 頭みじんと打ち砕け のた打ち返り 死してんけり
気味よし 気味よし心地よし 是も 一重に 君が世の 栄え栄えて 源氏の
国土安穏民安全と 守らせ給ひぞ 目出度けれ
幕
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